
4.272012
深夜にこんばんは。週半ばお疲れ様です。
本日午後は、離婚絡みの証人尋問、夕方から自賠責共済・紛争処理機構で、交通事故の後遺障害等級認定の審査業務をドクターとご一緒に、という流れで、ちょっとドラスティックな一日でした。
( 脳髄液減少症候群、低髄液圧症候群の方々の案件ばかりで大変でした・・)
さて、私は移動中、ツイッターを見ていることが多いのですが(西武ライオンズの中継ツイッターとか(^^ゞ。個人や会社情報機密保持のため、事件案件の記録はみられませんので・・って普通の法律雑誌読めよ!)、本日の刑事公判・小沢一郎議員の無罪判決について、ちょっと前提事実を誤認した発言が多かったので気になり、このコラムを書きます。
(* 尚、私は、ここで自分の政治的意見を書くものではありません。
小沢議員の政治的手腕や評価を論じるものではないのでご了承下さい。)
ツイッターアカウントは伏せますが(というより、同様の発言があまりにも多すぎですし、自由報道協会に所属する政治アナリストまでこういう発言をするんだから、正直唖然としています。)
「刑事判決・小沢議員無罪!これで政治的にもクリーン!小沢総理誕生!」
別に、小沢総理が誕生するかどうかは、個々の皆様の政治的なご意見によるものですので、論じる気持ちはございませんが、問題は、
「刑事訴訟無罪 = 政治的にもクリーン」 という論理。
これは、刑事訴訟で、有罪となるにはいかなる立証程度が要求されるのか、という点を全く無視した議論。
◆ 刑事事件で有罪となる立証程度 ◆
刑事事件では、 刑事被告人の人権保護、刑事手続きの厳格な適正(冤罪回避の担保)等の観点から、刑事訴訟法において、「被告人に無罪の推定」の法理を採用しています。
簡単に申せば、「疑わしきは被告人の利益に」ということです。
これは逆に検察側に、被告人の有罪を立証するためには、「厳格な証明」を求めています。
「厳格な証明」= 「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証」
要するに、極めて高度な証明程度が求められるわけです。
( それでも、冤罪の方々が出てしまうという残念な事件は、過去幾人も報道されているとおりです。)
◆ 民事訴訟で勝訴(主張が認容される)となるための立証程度 ◆
これに対し、民事事件では、刑事事件とは趣旨が異なってきます。
民事事件では、本当の真実は「神のみぞ知る」であり、裁判官は、原告被告当事者双方の主張や立証等に照らしながら、ざっくばらんに申せば、「どちらが真実らしいか」という観点から心証形成をしていくことになります。
(※ 民事訴訟の証明度については、色々な主張・学説が論文等で出されている分野ですので、あくまでもここでは簡略に書かせて頂きます。)
民事訴訟では、「高度の蓋然性」が立証されれば良いとされております。
ここは、正確性を期するために、最高裁の判示を引用します。
(最高裁平成11.2.25)
「高度の蓋然性」=「一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りる・・・」
ちょっと長い定義になってしまいましたが、要するに、刑事訴訟で求められる 「厳格な証明」と比して、「高度の蓋然性」はハードルが低いのです。
◆ 私見 ◆
このように、刑事事件で無罪になったからと言って、民事事件でも自分が主張することが裁判所に認められる、(※ 例えば、教師による生徒への体罰だったり、猥褻等の事案などで、刑事では検察側の立証不十分で無罪になったとしても、民事事件では、生徒側からの損害賠償につき、一部金額を裁判所が認めることなどは珍しくありません)というわけではないのです。
ましてや、(ここからは完全に私見ですが)、 全国民の代表(憲法)、公人たる国会議員への評価というのは、倫理観、道徳観にも及んで然るものであり、民事訴訟での立証程度ハードルよりも遙かに低い評価ハードルが適用されるのではないでしょうか。
このような、刑事訴訟で検察側に課される「厳格な証明」の意味もふまえずに、これで刑事被告人につき、民事訴訟の判断、さらには公人としての人物評価についても「刑事事件で無罪だからクリーン」とあっさり論理構築をしてしまう、専門家たる政治アナリストには疑問を感じてしまいます。
以上、政治的な表現も含んでしまいましたので、不快感をお感じになられる方もいらっしゃると思いますが(ごめんなさい)、ご参考になれば幸いですm(_ _)m。
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